2021年10月11日(月)
高校生の頃から付き合いのある友達が、LINEで仕事の愚痴を言ってきた。こっちもこっちで大変なので、お互いの近況報告みたいに愚痴を言い合ってたら、その友達が「この社会では図太くないと生きていけない」と送ってきた。「そうかもね。でも鈍感にだけはなりたくない」と返事したら、「わかる。ほんとは図太くなんてなりたくないよ」と。そんな2021年10月。てか、あれ? 10月? わたくしまだ毎日半袖着てますけど。暑くね???
最近読んでいる本のひとつが、アルテイシア『フェミニズムに出会って長生きしたくなった。』。この本を読んでいて思い出したことがある。子どもの頃、といっても中学生か高校生くらいの頃だけれど、実家近くの公園でいとこたちと遊んでいたら、幼稚園のときの同級生と7年ぶりくらいに再会した。お互いに「ああ、なんとなく覚えてるけど……」みたいな感じ。
そんで、みんなで野球やろうよって話になって遊んでいたんだけど、ぼくはその幼稚園時代の同級生ともっと仲良くなりたいなあと思うようになって、あろうことかカンチョーをしてしまった。そして、普段はカンチョーなんてしないのに、慣れないことをしてしまったせいか、思いのほか指が奥深くまで突き刺さってしまい、その幼稚園時代の同級生は悲鳴をあげてその場に蹲り、悶絶しだした。
同意なく相手の性器に指を突き刺すなんて、いまのぼくだったらそれが性的暴行だと思えるし、絶対やらないし、身近な子どもがカンチョーして遊んでいたら絶対止めるけれど、当時はそんな風には認識できていなかった。冗談でカンチョーして、「わはは、やめろよ」とか言って、バカだなあと思ってもらえて、距離が縮むんじゃないかなどとひどい勘違いをしていた。マジでアホすぎるし、性に関する権利意識が低すぎた。
結局、その同級生とはそれ以来会っていない。もしまた会うことがあったら、なにがなんでも謝罪しようと思っている。本当に反省している。
あれから10年くらいが経って、ひととの距離の詰め方も少しは学んだと思うし、何よりフェミニズムやジェンダー・スタディーズなどと出会って、勉強して、性に関する権利意識を多少はアップデートできたことは本当に良かったと思っている(もちろんまだまだ勉強は必要だけれど)。
カンチョーなんていう性的暴行をしなくても友達はできるし、セクハラになるような話題や表現を避けたとしても、いくらでも話す話題はあるし、表現は多様で豊潤だ。また、距離が詰められそうにないのであれば、無理に話したり相手の気を引くような過激なことをしたりしなくてもいいのだということもようやく分かってきた。
図太くあれ、鈍感になれ、弱さを見せるなと脅してくる男社会の被害者は、女性だけでもなければ、男性だけでもない。被害者の声に耳を傾け、敵を見据え、そして自分の加害性とも向き合っていく。しんどい作業に見えるけれど、意外とそうでもないかもしれないと最近は思う。共感し、弱音を吐き合える仲間が少しずつできていくだろうから。